2008年04月04日

見えないものを見出す

緑色の海もうだいぶ前のことになってしまいましたが、3月の15日に浜離宮に菜の花を見に行ってきました。

行ってみると、貼り紙がしてあって、菜の花の開花が例年より遅れているのことで、目の前には緑色の菜の花畑が広がっていました。他の場所(埼玉県)ではもう咲いてるって話を聞いてきたのですけどねぇ・・・

がっかり。

・・・いや、がっかりといえばがっかりですが、花が咲いていないからといってそのまま帰るのも(入場料払った後だし)つまらない、しばらく緑色の菜の花畑を眺めていました。

菜の花畑にじっと佇んでいると、記憶の中に満開の菜の花が甦ってきます。

ずっと向こう。あの畑の途切れる辺りまで、一面に広がる金色の海。眩しい春の日の光景。そしてやがては、いつか見た菜の花畑の、その外側や向こう側に広がる光景まで・・・人はそこに、存在しないものを見出すことができます。

ふと、石垣りんの「幻の花」という詩を思い出しました。

庭に
今年の菊が咲いた

子供のとき、
季節は目の前に
ひとつしか展開しなかった。

今は見える
去年の菊。
おととしの菊。
十年前の菊。


この前半部のあと、この作品は急展開していくのですが、それは今回置いといて、目の前の花から別の花を見出すところを思い出したわけです。

こんな風に、対象を実際に眺めてみると、そこにないものを見つけることもできるはずです。目の前の対象を詩として表現するにあたっては、その対象をよく見ているうちに浮かんでくる、そこに存在しないものも重要な要素になってくるでしょう。実際には存在せず、しかしあなたに見えたものは、同じ対象を見たあなたにしか見えなかったかもしれません。けれど、それが作品に描かれた時、あなたは読者にもその光景を見せようとしているわけです。そのようにして見せられた光景は読者にとって新鮮な驚きになることと思います。

そのようにして、存在しないものを見出すことによって対象をより輝かせる。対象をよく見つめているとそんなこともできるようになるはずです。

結局言いたいことは前にも言った「よく見てみましょう」ってことなのですが。

何か書きたいものを見つけたら、焦らずに、じっくりと向き合ってみることをおすすめします。
花はいつか散ってしまいますから、せっかく咲いているうちは詩に書くよりも実物を楽しまないともったいない・・・かな?


金色の海ここから余談ですが、こちらはその一週間後に同じ場所で眺めた菜の花畑です。
満開ではなさそうですが、それでも充分な迫力で金色の海が広がります。

菜の花畑を眺めて思い出す詩といえば山村慕鳥の「風景」(引用は省くが青空文庫で読めます)ですね。
広大(浜離宮は狭いけど)な菜の花畑を眺めると、山村慕鳥が何故あんなに「いちめんのなのはな」と繰り返したのかなんだかちょっと伝わってきます。この圧倒的な光景とそれへの思いをどう表現するのか、凝った言葉を尽くすよりも、いっそ同じ言葉を繰り返して表現したいくらい、小さな花がどこまでも広がる様は見る者を圧倒して迫ってきます。
posted by Jack at 00:10 | Comment(0) | TrackBack(0) | 詩の書き方、読み方
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:


この記事へのトラックバック
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。