まあ、他人の作品と一緒に自作を解説するのはやりづらいだろうし、自作を紹介しなかったのはもっともなんだけれど、「詩のこころを読む」のような本を書いたのが茨木のり子以外の人であったら、きっと茨木のり子の作品が紹介されていたことと思います。
今色々調べてみたら、なんかテレビの金八先生で作品が紹介されたこともあるそうです。誰か見たことある人いる?
で、その茨木のり子の詩集です。
自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ
この強烈な一言で締める表題作「自分の感受性くらい」はあまりにも有名なので、色々なところで紹介されているし、この詩集を手に取ったことのない人でも知っていると思う。素敵な作品です。
しかし私はその表題作よりも、詩集の先頭にあったひとつ、「詩集と刺繍」に驚いた。この作品はこんな風に始まる。
詩集のコーナーはどこですか
勇を鼓して尋ねたらば
東京堂の店員はさっさと案内してくれたのである
刺繍の本のぎっしり詰まった一角へ
刺繍と詩集、同音異義語をつかった言葉遊び。これ自体はよくあることである。ここからの展開も素敵、刺繍と詩集が同音であることに着目して、音が同じなのだから店員は悪くないとしながらも、女性がししゅうといったら刺繍と決め付けるのはどうか?と考えてみたり、案内されるままに刺繍の本を手にとってみるというちょっと小心な面(こっちの刺繍じゃないって文句言わない)も見せながら、やがて、同じ音で結ばれた刺繍と詩集を結び付けてゆく。
そうして最後の一連
たとえ禁止令が出たとしても
下着に刺繍をするひとは絶えないだろう
言葉で何かを刺しかがらんとする者を根だやしにもできないさ
せめてもニカッと笑って店を出る
「言葉で何かを刺しかがらんとする者を根だやしにもできないさ」この一言に痺れた。この行だけ他と比べて明らかに長くもあり、また力が入っているように感じる。「言葉で何かを刺しかがらんとする者」という比喩も素敵。詩人って確かにそういうものかもしれない。
たぶんこの一行は作者自身が「キメ」として意識した部分なんじゃないか。この一行によって、続く最終行のように「ニカッと」笑う作者の様子がはっきり伝わってくる。こういう決めゼリフが私は大好きです。
他にも素敵な作品がたくさん詰まっています。いちおうAmazonのリンクも張っておきますが、有名な詩集だし図書館でも借りられるんじゃないかと思います。まだ読んでいない方はぜひともこの機会に読んでみて欲しい、きっとあなたの世界が広がります。