最近、以前にも読んでいた「週刊文春」を再び読んでいます。以前は浅田次郎の「壬生義士伝」とか、福井晴敏の「Op.ローズダスト」とか連載小説を読むために買っていたのですが、ここしばらくは特に小説に目を通すでもなく、なんとなく読んでいます。
そんな週刊文春で、林真理子さんがエッセイの連載をやってたりします。たまに気が向いたときに読んでいますが、そんな中に気になるキーワードがありました。
「カラオケ現象」なる言葉です。
文中では、京都の舞妓さんの話をしていて「舞妓さんのお客さんは増えていないのに、舞妓になりたがる人は増えている」という話に対して、「なるほど舞妓もカラオケ現象か」といったようなやりとりで使われている。続いて「カラオケ現象」とは何なのか説明してくれている。評論家が作家のことを言ったことのようで「本は売れないのに作家志望の数は増える」といった話だという。それがどういうことかというと
プロの人の技を楽しむよりも、自分がその当人になりたい、つくり手に、という願望は、もはやあらゆる分野にわたっているようだ。
(週刊文春 2006/11/9号 66ページよりの引用)
という、さらには
文芸誌は、発行部数と、新人賞に応募してくる数がほぼ同じ
(これも週刊文春 2006/11/9号 66ページよりの引用)
なんて言葉まである。これを読んで私は愕然とした。
Jack's Roomもまた、読者数と投稿者数は限りなく同数に近いからだ。こんなところでなんか妙に共通点を感じてしまった。
しかし考えてみれば、Jack's Roomにおいては読者数と投稿者数が近いのはある意味当然ともいえる。Jack's Roomって別にプロが書いているわけでもないので、詩を読んでみたいと思った人が無数の詩人がいる中からのランダムな選択でJack's Roomを選ぶ確率というのはものすごく低いと思う。代わりに、ほげほげ出版社のふがふが賞発表、とかあったら、その作品を読んでみる確率はJack's Roomに比べてはるかに高いだろう。
対して、書いてみたいと思う人で、ほげほげ出版社のふがふが賞応募とかはする気にならなくても、とりあえずJack's Roomあたりで書いてみようか、って考える人もまた、それなりにいることが考えられる。
かなりの自信家ならば最初から大きなステージに出たいと思うこともあるかとは思いますが。いや、Jack's Roomで書く人達はむしろ、将来的にも別に詩を書くことで大きなステージに立つつもりはないよ、って人の方が多いんじゃないかと思う。
私としては、Jack's Roomってそういうサイトだろ、と思ってやってます。
以上のような経緯で、Jack's Roomにおいて書く人と読む人の数が近いのは当然のことなのですが、これって世の中の流れだったのかと気がついてちょっと驚きました。
面白いのでこの話、次回も続く。
2006年11月
自宅にて
// Jack